本質に触れていくこと

気分的に忙しい週末を過ごしている。

朝から2時間を超える電話での打ち合わせ。
私の思考は、特にこの数日、
止まる所を知らない。
今抱えている複数の案件の一つが、
年明け早々、佳境を迎えているからだ。
今朝の長電話も、その一端。

会話を重ねることは、時に私にとっては
大切なプロセスである。
相手の発した言葉と自分の発した言葉の
隙間に、ハッとする「気づき」が
多く潜んでいるのを知っているから。

今朝の電話で、話が少し横に逸れながら
たまたま”セラピー”や”思考の整理ツール”の話に
なった時のこと。電話の相手が言う。

私の知り合いに、そういったことを
提供している人がいるんだけど、
“家族”や”自分の過去”に落とし所を
持っている類ものは嫌いみたいで、
その瞬間瞬間にヒントや答えが
見えたりするものが好きで
そうしたものを選んで
学んだり提供しているんだって。

 

ほほう。もうちょっと詳しく聞きたくなった。

家族や自分の過去に落とし所を持つ類のもの?
インナーチャイルドセラピーとか?
NLPとかのタイムラインセラピーのようなものとか?

話は続く。

 

詳しくは知らないけれど、
家族とか親とか過去とか、
  今更どうしようもできないことを
  突きつけられたりしたところで、
  不幸な感じが増幅するだけで
  解決には至らない、みたいなことを
 話していた気がするよ

 

なるほど。少し理解ができた気がする。
・・・と同時にハッとした。

もしかしたら、私がこれでもかと告知して
募っている
「家族の座 – ファミリーコンステレーション」
もその独特なタイトルを字面で見ただけで、
そのように感じる人がいるのかもしれないなあ、と。

仮にももしそうであれば、
それは「誤解」であることを
説明したい衝動に駆られている自分がいて、
今こうしてカタカタと文字を打っている。
そしてまず打ちたい文章はこうだ。

「家族の座-ファミリーコンステレーション」は、
家族構成や家族に起きたことを振り返り、
その振り返りの中から解決策や
現状改善へのヒントを見出す手法ではない。

 

そして、家族に起きた繊細な出来事や、
はたまたその出来事で当事者が関係者が
どんな感情を抱いて生きてきたのか
といった詳細にファシリテーターが
問いかけるのような行為も一切ない。
ない、と言うよりも、
そのような詳細がその場で
分かち合われること自体が、
この手法ではタブーなのである。

代理人として配置された人たちの
動きだけが、その場を導く手がかりになる。
そこにカウンセリングや会話中心の
セラピーのような言葉のやり取りは
一切ないのも、この手法の特徴だ。

「座」というだけあって、
自分がテーマに挙げたことに関する
「全体像」を見ることだけに
フォーカスするのだ。
逆にいうと、
「全体像」を見ること以外に
成されることは何もない。
(だそがファシリテートしてくれる
ワークにはサポートになる瞑想の
要素を取り入れてくれます)

Less is more.
“より少ないことは、より多いこと。”

ファシリテーターの斎藤だそさんが、
このワークをリードする時、
度々分かち合ってくれる言葉。

出来事や関係者についての
情報の多さや詳細度が提示された時に
私たちは本来掴みたいはずの
「本質」や「核心」から
遠ざかってしまうことがよく起きる
それは、つい思考が捉われたがる
「餌」のようなものを
提供されているようなことだと思う。
この手法は、
その「餌」になってしまうような
要素をそぎ落とすことを大切にしている。

座を開くことで
参加者がそれぞれに内在する
「本質」や「核心」に
触れることはしばしば起きる。
そして、触れた人々には
言葉を失うようなことが
起きているのをよく目撃する。

 

「介入しない」クリーンランゲージを
日本に取り入れた第一人者のだそによる
ファシリテートは、
この「削ぎ落とされたアプローチ」
が一層際立つ。

b012

そして、そのようなアプローチである
からこそ、参加する側の私たちは
より本質に、より核心に触れていく
ことができるのだとすら思っている。

つづく・・・

残席4です。
「ファミリーコンステレーション/家族の座ワークショップ2日間」

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